ひとりひとりはいい人たちだけれど、集団になると頭のない怪物だ
私は伊坂幸太郎さんの作品が大好きだ。よく、というか毎日読み返している。そんな中生まれた今回の記事。
伊坂幸太郎さんの「死神の浮力」を読んでいたら思わぬつながりを発見した。
— 麦ちゃん (@mugibook) 2018年9月25日
「魔王」の主人公が疑問をもつシーンがある。チャップリンが『一人一人は良い人間だが集団になると...なんと言ったのだろうか?』と。その答えが今作にあり「群衆という名の、頭を失った怪物」だそうだ。
今回はこのツイートを元に書いていく。
時事ネタになってしまうが先日とある駅のホームでアイドルグループのメンバーを出待ちをするファンが殺到しダイヤを乱したというニュースがあった。
奇しくも起こった場所は伊坂幸太郎さんの作品でよく登場する仙台である...
その概要と動画を見たときに真っ先に浮かんだ言葉が「集団になると頭のない怪物」だ。まさにその状態を体現している。
人は集団に入ると「個」が薄くなり『それが正義だ』と言わんばかりに傍若無人な行動が多くなる。そして行動を起こす人は『やってしまえ』『楽しそうだ』『みんなもやってるし大丈夫』つまり「思考停止」である。
今日では集団で事故の一部始終を撮影したり被害者へのインタビューは当たり前の光景になりつつある。カメラは弾の入ってない拳銃とは言い得て妙だ。
今後そういった場面に遭遇してしまうことはおそらくある。その時に私はどのような行動をとれるだろう?
バッタが群集相により生態が凶暴になるように人間もそちら側になってしまう可能性は充分にありうる。
私はそこで一旦立ち止まり『大丈夫だろうか?』と疑問を持ち行動をとれる人になりたい。
その場を収めることや大きな行動はとれなくても良心に従いクラレッタのスカートを直せるような人に。
この言葉と出会ってからはずっと私の頭の中を巡っており、ことあるごとに問いかけられる。
人は百パーセント良い人、悪い人がいないようにそれぞれが混ざり合って存在している。あなたは一側面で判断していないだろうか?
情報が錯綜し多様な生き方に頭を悩ます現代。今一度自分の中に問いかけて欲しい。全てを肯定し反対者は排斥する「頭のない怪物」になっていないかどうかを。